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かつて、ゲームはいたってマイナーな文化でした。遊ぶことができる「ゲームセンター」と呼ばれた場所もやがて、不良のたまり場という印象が強くなり、今ほど気軽にだれでも立ち寄れる雰囲気ではありませんでした。ゲームが一般化しはじめるきっかけとなったのは、言うまでもなく「ファミコン」に代表される家庭用ゲームの普及でした。これによりゲームセンターでゲームをする人がいなくなってしまっては大変と、ゲームセンター向けのアーケードゲームメーカーは、家庭用ゲームと違い作品ごとに専用のハードウェアをデザインできるという利点を活かし、次々にスペックの高いハードウェアを開発し、グラフィックやサウンドをはじめとするゲームの表現力がどんどん上がってゆきました。やがて、その後を追うように家庭用ハードウェアも新機種の登場によりその表現力を上げてきました。
もともとゲームのBGMといっても効果音のために用意された音源を使った飾りのようなものでしたが、その使用が一般的になると、BGMの使用を前提とした同時発音数の増えたハードウェアが導入されはじめました。とはいえ、当初音源そのものは従来効果音用に使用されたいたって表現力の乏しいものでした。その限られた環境の中でいかにゲームの印象を強め、かつ繰り返し聴いても飽きない親しむことのできる音楽をつくるかという新たな挑戦がはじまったのです。そうした新しい分野の開拓が、いわゆるゲームミュージックというジャンルの幕開けでした。
ここで注目するべき点は、ハードウェアの全体的な表現力が低かったため、可能な表現手段がそれぞれを補い合うことが重要でした。例えば、ゲームのあるシーンで特定の雰囲気や印象を強調したい場合、現存のグラフィック機能だけでは満足な描写ができない時などはBGMで演出を盛り上げる音楽を奏で、総合的に可能な限り意図するものに近い表現効果を得ようとするわけです。ところが頼りのBGMも貧弱な音でしか奏でることができない。ではどうするか。音は貧弱でも効果的で美しい節やハーモニーを奏でることにより、表面的な音質のハンディーキャップを超えて人間の美的感覚への刺激を試みるしかないのです。例えるならば、鉛筆で絵を描く場合、自然色の表現ができません。しかし、適切なディテールや遠近法などの技術によって人間の脳に働きかけることにより、ないはずの色を想像させることができます。この時点の音楽にとって、表現力の低い音源環境がこの場合の鉛筆の立場と共通するものがあると思います。
こうしたことから、単純な構成でも魅力のある、かつゲーム作品を最大限にアピールする音楽の需要が高まり、次々とすばらしい作品が生み出されました。やがて、音源も次々とより表現力の高いものが開発、導入されはじめ、これまでの過酷な制約の中で鍛え抜かれてきたゲーム音楽作曲技術がさらなる魅力を追求しはじめます。同時に、ゲーム作品の人気と音楽的芸術性の認知度の向上によりゲームミュージックも一ジャンルとして確立されるまでに至ります。
ゲーム音楽近代化の最大のきっかけとなったのは、CD-ROMによる音源機能の制約からの解放ではないでしょうか。元々音楽を録音するために登場したCDというメディアを活かし、CD-ROMを媒体としたゲーム作品は必然的に生演奏をはじめとする豪華なサウンドによるゲームBGMを実現しました。
やがて、年々加速するハードウェアの進化に伴い、CD録音に頼らずとも高い表現力を持ったハードウェア音源環境も充実してきました。一方、そうする間にゲームの音楽を創造する人材にも新たな世代が参入してきます。すると自然に、かつて限られた条件の中培われてきた技術や思想の伝統が忘れられはじめます。新しくゲーム音楽制作の仕事を始める人材にとって、はじめから比較的自由な表現を可能にする環境があるため、当然かつてとは違った概念の元、作品が生まれはじめます。
ハードウェアの発達により表現力を得たのはもちろん音楽環境だけではなく、視覚的な表現力も飛躍的に進歩してきました。これにより、先程述べたような表現手段同士の「補い合い」の重要性も薄れてきます。つまり従来に比べ映像表現が音楽の助けを借りることなく、制作側の意図するイメージを伝えることができるようになってきたのです。ましてや視覚を主体とするビデオゲームというメディアの特性から、映像が音声による補助から独立すればするほど、音楽の存在感が薄れてしまいます。
映画などと同じく、ゲームも今となっては音楽が背景に流れているというのが当たり前になっているため、音楽の存在自体は不可欠です。しかし、従来と比べ単体として作品全体の質を左右するような重要性は減少していると思われます。言いかえれば、音楽による演出として場面のイメージを訴えかける努力をそれほどしなくても、あって当然のBGMとしてシーンの雰囲気に合った空気を堤供していれば、後は環境の進歩により可能となった、より自然な映像表現や肉声による会話、効果音などといったストレートな表現がほぼ観客の印象を満たしてしまうのです。表現手段として抽象的な音楽による演出は、観客側があえてそれを受け止めようとしなければ、山の木のように無ければ不自然だがあっても特に意識されない存在になりやすいのではないでしょうか。
ゲームの制作をビジネスとして行う企業にとって、音楽をはじめとする要素に必要以上の資本と労力を費やす
事は好ましくなく、よってかつてほど音楽の質や理想が作品の売上げに影響をおよぼさなくなっては、それに伴う人材の教育や開拓に対する積極性も当然のごとく薄れてきます。ましてや個人で精巧な音楽を制作する環境がますます身近になってきている現在、ゲーム音楽の歴史や伝統に関する知識や関心を特に必要としなくとも、現状では商品価値のあるゲームBGMを制作する能力のある人材もどんどん増えてきています。
こうした現象により、かつては職人芸的な創造性によりメーカーからも重宝され、自らのジャンルを栄えさせたゲームミュージックはこれから衰退の一途をたどり、形式上BGMとして場面の背景の一部になり得る使い捨て的な性質のものが主流になりつつあると、私は感じています。音楽作品として魅力や芸術性が低下すれば、その認知度も低下し、結果それらをアルバム化する価値も比例して変化してゆくのは自然なことです。かつて、その頃リリースされたほとんどのゲーム作品の音楽アルバムをレコード店などの「ゲームミュージック」コーナーで見つけることができたのに対し、最近ではリリースされるゲームタイトルは増える一方の割には「アニメ」、「その他」といった項目と混合され、ゲーム音楽アルバムの数が明らかに減ってきているのは、何を意味するのでしょうか。
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